月刊[アテス]No.004 2007年3月号より転載

上:“約束のコーヒー”が待つコーヒー専門店、「機屋」への道のりを歩く。駅からタクシーを使えば6、7分の距離なのだが、なぜか歩いて行くべきだと思ったのだ。川べりを吹き渡る冷たい風も、旅の友である。
左:自家焙煎、ネルドリップにこだわり、珠玉の1杯を淹れる「機屋」店主の関基尋さん。彼が目指しているのは、“オートクチュールのコーヒー”だという。

 旅の発端は、11年前に遡る.ある雑誌の取材で、僕は盛岡を訪れていた。明治時代の野良着や古布を商う店で女店主の話を聞いていると、どこからか好い匂いがする。同じ建物の中にコーヒー店があった。「甥がやっているんですよ。寄っていってやってください」という女店主の促しにのって、仕切りのドアを開け、カウンター席に着いた。まだ年若そうな店主にブレンドを注文したのだが、「よかったらストレートを何杯か飲まれませんか?」と、意外な答えが返ってきた。そのときデミタスカップで飲んだのがモカだったのかコロンビアだったのか、今では思い出せない。が、嗅ぐ者の意識を開くような香りと口腔をデカダンスに染める味わいは、強く記憶に刻まれた。

右上から時計回りに:ネルドリッパーは自家製、ポットの注ぎ口も店主自らが加工。珈琲豆の熟成室。「30年は寝かせてみたい」と店主は言う。銅製のウォーマーも特注品。デミタスカップの並ぶ棚。コーヒーを「淹れる」の「淹」の字には「ひたす」「とどまる」の意のほかに「深い」「ひろい」の意がある。関さんのコーヒーへの思いと知識は「淹」の字にふさわしい。

 この日、僕の心を掴んだもうひとつのものは、目の前で肘を張ってコーヒーを淹れるいかにも頑固そうな男−店主その人だった。ネルのドリッパーにきっちりと盛られた挽き豆にステンレスポットから湯を注ぐのだが、その1滴目がなかなか落ちてこない。その場を支配する張り詰めた空気に、こちらは固唾を呑んで見守ることになる。3秒、4秒、まだ落ちてこない。5秒を過ぎたあたりでようやく細々とした最初の滴が豆の上に落ち、その刹那、ふわりと香りが立ち上がる。ようやくこちらもふうっと息を吐き出すといった具合なのだ。そうして淹れた1杯1杯に対して彼がコメントをするのだが(「最初は舌の先端の部分で甘く、少し後では舌の脇のあたりでジワッと苦味がしませんか」等々)、これがいちいちズッポシと的を射ていたのだ。

 3杯、いや4杯くらい別々の産地のストレートを飲んだだろうか。実は僕はふだん、コーヒーを飲むときにはミルクを入れて飲む。ストレートだと胃が荒れることがあるからだ。そのことを話すと、店主は「うちのは大丈夫ですよ」と歯牙にもかけぬ様子。実際にすべてブラックで飲んだが、我が胃は痛むどころか溌剌としていた。

 こんなコーヒーがあったのか。すかさず取材を申し込んだのは職業柄の欲からであった。はたして店主の答えは、こうだった。「残念ながらお受けできません。まだ自分で納得のいくコーヒーが淹れられていないのです。あと10年待ってもらえれば……」

そして10年ぶりの再訪。

 世の中には粋狂な人がいるものだ。今、そう思うのは自分自身のことである。あの日の口約束を、僕は本当にずっと覚えていた。暮れも押し迫った昨年12月のある日、10年ぶりの盛岡駅に降り立った。冬の東北ならではの頬を刺すような寒風も、昂揚した身体にはかえって心地よい。

  駅からコーヒー専門店「機屋」のある本町通りまではタクシーなら6、7分の距離だが、僕は歩いていくことにした。なぜだか、あっさり店に着いてしまってはいけない気がしたのだ.北上川に架かる橋を渡り、アーケードのある商店街を抜け、城址の脇を過ぎる。途中、道に迷うなどあって、「機屋」の入り口に立ったのは、駅を出てから小一時間も経った後だった。

浮田泰幸 Yasuyuki Ukita ライター/エディター
●1962年、兵庫県生まれ。臨場感にあふれ、人生の示唆に富んだ旅のルポルタージュには定評がある。本誌連載中の酒飲みエッセイ「聖なる酔っ払いの日記」も人気。

  店内の様子は、10年前とさほど変わっていないようだ。カウンターの奥から、いくぶん恰幅がよくなり、貫禄のついた"頑固者"が出てくる。僕らは思わずがっちりと手を握り合った。「機屋」店主、関基尋がコーヒーにコーヒーに目覚めたのは、大学時代を過ごした東京でのこと。吉祥時「モカ」、銀座「カフェ・ド・ランプル」のコーヒーに衝撃を食らう。以降、「ランプル」に通い詰め、コーヒー1杯で何時間も居座って、カウンター越しに店主の技や知識を吸収した。自由業を志していた関さんは迷わずコーヒーを生業に選び、帰郷後、家族が喫茶店として営業していた場所をコーヒー専門店としてリニューアルオープン。それが、1994年3月のこと。僕らが出会ったのはその翌々年ということになる。

  カウンターの右端から2番目の席に座った。ここなら、コーヒーを淹れる関さんの所作が間近に眺められる。数分後、焙煎作業を終えた関さんが、カウンターに戻ってきた。「では、お願いします」。注文する側も、自然と背筋が伸びた。

  白いシャツの袖をまくった逞しい両腕が「く」の字に曲げられ、その間にネルのドリッパーとステンレスのポットが、あたかもそれが宇宙の真理に適った絶対的位置であるかのように、すんなりと収まる。ポットが傾ぎ、注ぎ口がネルの方に近づく。最初のひと滴が……なかなか落ちてこない。その「神聖なる数秒」のことを、僕はこの10年の間、、いったい何人の友だちやガールフレンドに話して聞かせてきたことだろう?まだ1杯目のコーヒーも飲んでいないのに鼻の奥がキュッとして、危うく涙腺がゆるむところだった。

 待望のオールドピーンズ

 最初に出されたのは、ケニアのオールドビーンズ。ひと口飲んで、思わず唸った。その後、すぐに手を合わせたい衝動に駆られた。感謝なのか祈りなのか、その対象すらわからぬが。とにかくその飲み物は深く、鮮烈で、甘くて穏やかだった。これがオールドビーンズか。僕が待った10年間は、実に関さんがコーヒー豆(生豆)を眠らせた10年間だったのだ。

 店と棟続きになつた関さんの自宅に、8畳ほどの広さの熟成室がある。真夏でも室温20℃くらいまでしか上がらないその部屋に、10種類以上の生豆が眠る。ちゃんとした状態で寝かせれば、コーヒー豆も上質なワインのように熟成し、味わいを深め、産地ごとの個性を強めるのだ。

 ケニアのふくよかな余韻にうっとりとして浸る僕に、関さんが言う。「これでもまだ口蓋に美味さを感じるだけでしょう?」。悔しいがそのとおりだった「もっと寝かせれば口全体で感じるようになると思うんですよね」。まったく、欲深い男である。

 2杯目はマンデリン・オールドビーンズ。この10年の間に、豆以外の部分で淹れ方など何か変わったり進化したりしたことはあるかと聞いてみた。「淹れ方については同じですね。ただ、あのころはとにかく美味いコーヒーを淹れることだけに集中していましたが、このごろはコーヒーを通して、それを飲んでいただくお客さんとか周りを意識するようになりました」

 当時、新婚ホヤホヤだった関さんは、今や3人子どもの父親になっていた。家族をもつことで、コーヒーは彼の目的から手段になったのかもしれない。ふと、店内に流れる音楽がクラシックであることに気づいた。たしか、以前はジャズが流れていたはず。クラシックの方が楽なんですよね、と関さんが説明する。僕も最近、仕事部屋でクラシックを聴くことが増えた。これもある種の熱成ってやつか、と四十路男は頷き合う。


右上から時計回りに:豆のささやきを聞くように焙煎の状態を確かめる関さん。「よいコーヒー豆は品格があるんです」。
焙煎機。豆の状態、出したい風味、季節や天気などで焙煎時間は微妙に変わる。
焙煎済みのコーヒー豆。ハンドピックでていねいに選別されているから抽出したときに雑味が出ない。
淹れ手の意気込みが詰まったデミタス。

 マンデリンは、少しぬるめに仕上げてあった。そのわけを訊くと、「これは焙煎してから1ヶ月以上経ってて、もしかしたらダメになってるかもしれないと思ったんだけど……」。抽出の最初の1滴を垂らした瞬間、これは少し低めの湯温で淹れればまだイケると踏み、実際にそうしたら、充分に美味いものが出せたという。この人の話には、どこか神懸かっているというか高度過ぎてついていけないところがあるのだが、出されたコーヒーの味がすぐに実証してしまうのだから、聞く側は降参するしかない。

 最後の1杯、イエメンのバニ・マタル産のモカだった。「これは僕なら年に1杯飲めば充分ですね」と関さんが言いながら淹れたコーヒーの破格のインパクトを表現するのは、地上の言葉では難しい。僕の頭に浮かんだのは、何年か前に飲んだ1985年の超特級は畑のバローロ(ワインの王様!)だったとだけ述べておこう。

 「機屋」のコーヒー豆を土産に持って帰ろうと考えていたが、やめにした。当分の間は、コーヒーを飲まないんじゃないかと思う。



HATAYA
盛岡≫機屋

「機屋」の自家焙煎の豆は、店で、また店のホームページや電話で注文・購入できる。ただしオールドビーンズに関しては、豆の販売は行っていない。店で味わうべし。

岩手県盛岡市本町通3-2-11
019-653-8833
営業時間 10時30分〜20時L.O
定休日  月(祭日の場合は営業)
「神聖なる数秒」を分かち合う、店主と客人(まれびと)。幸いなる緊張感がふたりを満たせば、もはや言葉は死に、口数は減っていった。